庄内町議会 2021-03-02 03月02日-01号
4 調査状況 [現況] 清川地区は、舟運の宿場町の遺構を復元した清川歴史公園、勤皇の志士であった清河八郎の遺品等を収蔵展示している清河八郎記念館、世界かんがい施設遺産の北楯大堰、戊辰戦争の戦場となった御殿林が整備されているほか、有名な松尾芭蕉、義経・弁慶のゆかりの地でもある。
4 調査状況 [現況] 清川地区は、舟運の宿場町の遺構を復元した清川歴史公園、勤皇の志士であった清河八郎の遺品等を収蔵展示している清河八郎記念館、世界かんがい施設遺産の北楯大堰、戊辰戦争の戦場となった御殿林が整備されているほか、有名な松尾芭蕉、義経・弁慶のゆかりの地でもある。
4 調査結果(調査現況) [現況] 清川地域は、舟運の宿場町の遺構を復元した清川歴史公園、勤皇の志士であった清河八郎の遺品等を収蔵展示している清河八郎記念館、世界かんがい施設遺産の北楯大堰、戊辰戦争の戦場となった御殿林が整備されているほか、有名な松尾芭蕉、義経・弁慶のゆかりの地でもある。
このときの関係者は本多隆司氏といいまして、ゴジラの監督をされた本多猪四郎氏の御長男で、その後平成28年頃に一般財団法人本多猪四郎記念映画文化振興財団という財団を設立しまして、本多猪四郎さんの遺品を大宝館で引き取ってもらえないかという話が持ち上がりまして、正式に依頼を受けたわけではありませんけれども、当時、社会教育課に検討してもらったというほど検討してもらったわけではないんですけれども、話だけはちょっとしたと
◎社会教育課長 私も図書館から話を聞きまして、今議員がおっしゃった方は図書館の方にいらっしゃって、いろんな佐藤幸徳中将の遺品を見て行ったということでございました。先程教育長から答弁がありましたとおり、教育委員会につきましては活字化についてはこれからの検討課題というふうに捉えております。あとその観光という観点になりますと、当課といたしましては特にそういう考え方はありません。
しかしながら、教育委員会としては、今年度は社会教育課で歴史民俗資料館の特別展示として、余目出身の佐藤幸徳中将遺品展を開催し、多くの命が失われたインパール作戦の悲惨さを紹介しております。 また、学校では学習指導要領に定められた必須事項を確実に教えることはもちろんですが、加えて、町作成の小学校副読本。私たちの庄内町に郷土の歴史として、戦争体験の内容を盛り込んで活用しております。
直接的な平和学習とは言えないかもしれないんですが、平成19年に亀ノ尾の里資料館におきまして、余目出身の抗命の軍将、佐藤幸徳中将遺品展が開催をされております。そのときに遺族をお招きしまして、お話を聞く機会を設けたということでお聞きをしております。それから、今年度の歴史民俗資料館の開館時期の特別展示におきましても、佐藤幸徳中将展を開催することといたしております。
荘内南洲会では、西郷隆盛にまつわる遺品等の企画展などを予定しており、酒田市でも酒田市立資料館などを活用し協力していきたいと考えております。 今後も、荘内南洲会や商工会議所、庄内観光コンベンション協会、NHK、鶴岡市など関係する団体と連携をとりながら、PR活動や誘客活動に努めていくことにしております。
◎社会教育課長 先程も一番最初に申し上げましたとおり、清河八郎の様々な遺品につきましては、幕末の歴史を語る上で非常に大切なものだと思っておりますし、これまで清河八郎記念館が半世紀以上、53年ですか、開館以来ずっとその運営をされてきて、その情報発信なり清河八郎の人物像を広く世の中に知らしめてきた活動というのは非常にすばらしいものがあると思っております。
また、火葬の障害、それから炉の負担とならないよう、利用者にも御協力をお願いいたしまして、お棺のほうには金属製品、陶磁器など、遺品を入れないようにしていただき、火葬時間の短縮、それから故障や公害防止にも配慮をいたしているところでございます。ほかにも燃焼室内の壁の補修など、炉の状況、使用頻度を見ながら、施設設備の運営に支障のないように、可能な限り対応をいたしているところでございます。
その原因について、保守しております業者の方といろいろ話し合いをしておりますが、原因としては納棺の際に納められます故人の方に縁のある遺品でありましたり、愛用した物ですとか、そうした副葬品をどうしてもこちらの習慣としてお棺に一緒に納めて納棺をするということがあって、そうした副葬品の影響もあるのではないかという指摘もされております。
そこで、櫛引庁舎ではこの貴重な史跡を地域活性化や観光面での活用を図るため、歴史性を伝えながら、有効活用を図るため、丸岡城史跡整備計画に基づき、遺品、遺物等の展示を含めた利活用について、専門家、地元の遺跡顕彰会の協力を得ながら、費用対効果も含め具体的な検討をしていくとしているようであります。 そこで伺うものでありますが、1番目として平成13年からの発掘調査による遺物が数多く出土しております。
幸い地元の丸岡には、先ほど申し上げました現在の庄内加藤清正公と忠廣公遺蹟顕彰会が古く、大正2年に、当時は加藤忠廣史跡保存会ということで発足されておりまして、これまで住民活動として石碑の建立や城跡の整備、遺品の保存などさまざまな活動を続けてこられております。今後関係の皆様のお力もおかりしながら課題の整理を行い、史跡公園として将来にわたる利活用の展望を得られる計画をつくっていくことが必要であります。
住民の方々による顕彰活動の歴史も古く、大正2年に加藤忠廣公遺蹟保存会が会員数105名で発足し、以来石碑の建立や城跡の整備、遺品の保存活動などさまざまな活動を続けられてこられました。丸岡の住民として先人たちの遺徳を顕彰し、地域の歴史を正しく後世に伝えていくということで、未来を担う子供たちが郷土を誇りに思う心を育てるための活動が綿々と続いてきたことに、深く経緯と感謝を表するところでございます。
また、個人の場合には自己保管あるいは遺品保管されているほかに、市に対しまして廃棄物としての処理処分について問い合わせがございます。樹脂製の場合には可燃ごみとして茶色の指定袋にお願いしますし、セラミック等不燃材質のものや金属部分との複合材質のものは金属、ガラス、その他のごみとして青色の指定袋に排出するように御指導をしておるところでございます。
次に,博士の偉業を後世に伝え,顕彰する施設はぜひ必要であるという認識で一致し,遺品などの状況を確認した。しかし研究資料等の多くは一橋大学,山形大学,山形銀行などに納められており,身のまわりの品などは散逸して残っていないことなどから,入館料を取るような施設ではなく,博士の業績や人となりを紹介する展示コーナーのようなものが適当と判断した。
戦後このような軍人の墓碑が部下によって建立された例はなく、これほどまで慕われた佐藤幸徳中将は、余目の生んだ異色の武人でございますが、その方の軍服・軍刀・記念写真・回顧録など歴史的な資料としての価値が高い遺品が62点、町の図書館に保管をされているそうでございます。
現在、NHKの方に佐藤千夜子の遺品収集について委託しているということがありまして、間近にその結果が出てくるのではないかと。
○商工観光部長 三浦家の意向により寄贈をいただき,現在の建物の形態となっているが,遺品も少なく,記念館を建てるまでにはならないかと思う。新しい建物のワンコーナーを借りる程度と考えている。 ○委員 商工会議所の会館は,独自に建てる商工会議所のもの。三浦記念館は市の建物である。取り壊す前に,市の考えがしっかりしていなければならない。三浦記念館があって初めて商工会館ができる。
私は,山形市の基盤を築いた最上家が改易され近江の地で,最上踊りを始めとする最上家の遺品や伝統を受け継いでこられた東近江市は,現在友好姉妹都市となっております旧中新田町,同等以上の関係にあると思います。そこで私は,東近江市と友好姉妹締結を考えてもよいのではないかと思いますが,市長のご見解をお聞きしたいと思います。 次に,障害者自立支援法の導入についてお伺いいたします。
「清河八郎記念館」は、清河八郎を記念して昭和37年に建設、館内には清河八郎の遺品をはじめ県指定文化財の著作や明治維新資料など多数が収蔵展示されています。」ということで、同様のものがインターネットの町のホームページにも載っておるようでございます。