9件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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小諸市議会 2019-09-02 09月02日-02号

また、そもそもがトンネルは大正元年に建設されておりまして、既に107年が経過しておりまして、安全性という部分では何ら担保している部分がございません。費用はかかりますけれども、専門の業者による点検というのが必要になってくると思いますし、その点検の結果によっては、もしかしたら高額な費用を伴う修繕が必要になるということもあり得ると思います。 

上田市議会 2019-01-06 03月06日-一般質問、議案質疑、議案付託-04号

過去におきましては、平成6年に発行した「上田消防のあゆみ」によりますと、1912年、大正元年の8月17日に発生した上田地震におきましては、地震規模がマグニチュード5.1、震源区域上田町を中心に、棚の器物の転落、白壁の亀裂剥離、現在の上田城跡公園にある招魂社などの石灯籠の足の破損などの被害を認めたとの記録が残っております。

飯山市議会 2018-06-19 06月19日-04号

これを受けて、大正元年長野県議会湯滝立ヶ花浚渫が取り上げられ、4,000円の予算化を受け、大正2年度から着工に至ったとの記載がありました。また、大正4年には浚渫費を7,000円に増額されたという経過があるということで、確認をしております。 ○議長(佐藤正夫)  市川議員。 ◆6番(市川久芳)  近年のやつは言われるとおりだと思うんですよ。

上田市議会 2017-07-07 09月13日-一般質問、議案質疑、議案付託-04号

大正元年、山本鼎30歳のときにフランス、パリで版画、油絵を学ぶために留学しました。そこで、「ブルトンヌ」、「サーシャ」と、山本鼎を代表する作品を制作しました。4年間のパリでの修行を終え、シベリア鉄道日本へ帰る途中、ロシアのモスクワへ立ち寄りました。市内へ写生に出かけ、その帰りに今後の山本鼎を大きく動かした出来事に出会うことになりました。

安曇野市議会 2016-12-06 12月06日-03号

飯沼飛行士は、大正元年8月2日、豊科南穂高に生まれました。彼はいつも常念岳や稲の早苗の植わっている水田を見ながら、数々の苦難を乗り越えて飛行家を志し、松本中学から逓信省委託操縦生試験に304名中4人合格という難関を突破し、優秀なパイロットとなりました。 昭和7年、朝日新聞に入り、昭和9年には大阪から北京間の2,000キロの訪問飛行に成功、その後は次々に海外への空路を開きました。

松本市議会 2013-12-10 12月10日-03号

生糸輸出量日本が世界一になったのは明治42年、そしてこの翌年、大正元年には生糸生産高でも世界一になっております。大正初期から第二次世界大戦開戦直前までが、我が国製糸業全盛期であったと言えます。この全盛期片倉製糸紡績株式会社は全国に62カ所の工場を持ち、朝鮮半島にも8カ所、ニューヨークには販売拠点が置かれていたと言われております。 

飯山市議会 2006-10-10 10月10日-03号

歴史的には明治43年、44年大洪水により、当地千曲川沿線に甚大な被害が出たことは周知のところであり、それを受け、大正元年、湯滝立ヶ花のしゅんせつを県議会などで取り上げられ、中心になったのが常盤村の高橋幸作県議であり、大正4年まで西大滝から大割野までの千曲川岩石等の破砕がなされたことは周知のところでございます。 

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