我孫子市議会 2020-09-08 09月08日-03号
皆さん御存じだと思うんですけど、武田信玄が山梨県の笛吹川と釜無川の信玄堤というのが今でも使われていて、この辺りだと徳川家康公が江戸に幕府を開いたときに、あの利根川を付け替えて、銚子に流すというような、どの当時の政治家たちも治水というのを福祉の増進という意味で一番に置かれていたんじゃないかなと思いまして、そんなことばっかり考えていたものですから、今日はまず治水について質問させていただきたいと思うんですけれども
皆さん御存じだと思うんですけど、武田信玄が山梨県の笛吹川と釜無川の信玄堤というのが今でも使われていて、この辺りだと徳川家康公が江戸に幕府を開いたときに、あの利根川を付け替えて、銚子に流すというような、どの当時の政治家たちも治水というのを福祉の増進という意味で一番に置かれていたんじゃないかなと思いまして、そんなことばっかり考えていたものですから、今日はまず治水について質問させていただきたいと思うんですけれども
時代劇の定番中の定番である水戸黄門こと徳川光圀公はお万 の方のお孫に当たり、水戸藩、紀州藩の藩祖は徳川家康公と養珠院お万の方の御子であり、日 本の歴史上、特に江戸時代の中期、8代将軍吉宗公以降はお万の方の血脈が代々将軍となって いること、また日蓮宗の熱心な信者であった養珠院は、女人禁制であった七面山に初めて登詣 されたことでも有名であります。
また、あわせまして八鶴湖につきましては、それこそ徳川家康公が東金に鷹狩りに来たときに、東金御殿のハス池として整備されたという歴史的な状況もございますので、こういったものを踏まえた形の中で考えていきますと、現状を維持しながら、かついかにその維持管理を軽減していくかという視点を持ちながら、現状の中で活用していきたいと考えてございます。 以上でございます。 ○議長(塚瀬一夫君) 質問を許します。
まず、市道金親町69号線及び周辺道路の整備につきましては、御成街道は今から400年前に徳川家康公によってつくられた歴史ある街道であり、街道の研究や史跡めぐりなど、散策に訪れる人々が後を絶ちません。また、散歩、散策ツアーなどの企画が催されており、狭い道路を徒歩で、車に注意しながら歩いているグループを見かけることもあります。
続きまして、小項目、徳川家康公の来訪を生かした企画について質問いたします。 平成25年度は、徳川家康公来訪400年として年間を通して多数のイベントが開催され、大変なにぎわいがありました。地域の活性化や交流人口をふやす手段の一つとして、東金市ゆかりの人物を活用したイベント開催が効果的であると考えます。
伴う東金市の子育て環境の変化について41産業振興行政について(1)農産物・加工品の販路拡大について ①都内アンテナショップ開設について ②都市部で開催されるイベントへの出店促進について(蟻友会) 個人質問者 5.佐久間治行2一般行政について(1)「花の東金」構築について ①公園整備の進捗状況について ②雄蛇ヶ池周辺の整備について (2)東金ゆかりの人物を活かしたイベント開催について ①徳川家康公来訪
5月1日は御宿中学校職員並びにPTA役員歓送迎会、5日は静岡市において徳川家康公顕 彰400周年記念祭四世代をつなぐ心の歌第11回みんなのコンサートが開催され、御宿コーラス 愛好会の皆様とともに参加してまいりました。
池田の一本松は、徳川家康公が池田地区を訪れた記念として、池田地先の小中川沿いに植樹された名松と言い伝えられておりますが、昭和40年代後半、全国的な松くい虫が大発生し、その後、昭和53年、2代目を植樹したが残念ながらともに枯れてしまいました。現在の松は3代目で、松の脇には一本松由来の看板が池田地区と教育委員会の連名で掲げてあります。3代目の松を植えた経緯について説明をしていただきたいと思います。
ことし、東金市は徳川家康公来訪400年、東金市市制施行60周年、そして東千葉メディカルセンターの開院、さらにみのりの郷東金開所と、東金市にとって新たな出発の年になっております。この記念すべき年に東金市市史編さん事業の開始を宣言するつもりはないか、また、これらの歴史史料の保存のために係等を置くつもりはないか、市長のお考えをお聞きしたいと思います。ぜひ前向きなご答弁をお願いしたいと思います。
また、かつて船橋には縄文時代から三番瀬がありまして、鎌倉時代には中山法華経寺が建立され、江戸時代には徳川家康公の家来の成瀬家のお寺があり、また宿場町として栄えたところであります。このようなことから、船橋市には椿画伯が市民として一生を過ごすだけの文化的な土壌があったと言えるのではないでしょうか。
◎市長(志賀直温君) 今のご質問の中にも、縦割りというような話がございましたが、例えば企画課一つで観光から何からという話ではなくて、そういうことで私からお答え申し上げますけれども、やはり市民との協働の取り組み、特に、来年にかけて、徳川家康公400年お成りというような一つの節目であります。
また、ことしから来年にかけまして、東金を初めとするこの地域にとりまして、徳川家康公来訪400年の記念すべき年となります。既に東金商工会議所を中心に数々のイベントが開催されてきております。市といたしましても、東金商工会議所と連携を図りながら官民一体となって取り組んでいきたいと考えております。 そして、また来年は、市制施行60年目の節目の年を迎えます。
たまたま徳川家康公の四天王だったときは、 本田忠勝、徳川家康の側室だったお万の方、時代が一緒になります。大多喜町と勝浦市、主人 公は違うにしても、家康を通じて主人公になりますので、大多喜町と勝浦市と一緒になってと いうことはできないかもしれないけれども、勝浦市も大河ドラマ化に向けやりますという形も いいのかなというふうにも思います。
徳川家康公がタカ狩りのためにつくられた御成街道、その街道沿いに隣接する千葉市の御成台と四街道市の鷹の台、道を挟んで医療費の不平等感があるかなと思いましたけれども、とてもいいことだと思います。よかったです。執行部の方々のご努力、ありがとうございました。私を初め、市民協働で子育て日本一のまち、四街道を浸透させることも大事だと思います。
江戸幕府初代将軍、徳川家康公の側室であ り、徳川御三家である紀州藩、水戸藩の藩祖である徳川頼宣、徳川頼房をお産みになられた養 珠婦人お万の方、当時の勝浦城主正木頼忠のお姫様であり、勝浦城落城の際に断崖絶壁をさら 109 しをつたっておりたという伝承を持つお万の方ですが、一般的には水戸黄門のおばあちゃん、 祖母として知られています。
平成21年は、徳川家康公がオランダに朱印状を交付し、交易を開始してから400年という節目の年となるため、これまでチューリップまつり等オランダにちなんだ交流事業を進めてきた本市におきましても、日蘭交流400周年を記念する事業を実施してまいります。
400年前、徳川家康公の命で、大阪冬の陣ですか、夏の陣ですか。従って、水夫が30名ぐらい行って、かなり戦死された。それで、その恩賞として、安房上総の運輸権を持って、江戸まで木更津の船が行けるようになったということでございますので、やはりみなとが発展しなければならない。みなとはやはり稼げる場所じゃなきゃいけないと思います。
市制40周年のイベントとして、私前にも提言させていただいたことがあるんですけれども、ただいま言ったように日吉神社の大祭、これにできればリンクさせられるような形で、東金市に徳川家康公が鷹狩りに参ったということで、そのとき市長に笑われましたけれども、市長を家康公とみなして、そういった行列も一つの売りとしていいんじゃないかというふうに話しさせていただいたんですけれども、ただいまも笑ってましたけれども、それはさておき
東照大権現の徳川家康公の話で、「人の上に立つ者は、心を鬼にしなければいけない」、あるいは、「心の中に一匹の鬼を飼え」という言葉ですが、きょうは、私、こういう言葉を聞いてまいりました。「私は、一匹狼など育てる気はない。また、羊の群れを育てる気もない。本当に育てたいのは、強くて優しい、その上かしこい人間の集団である」と。これはすばらしい言葉だと思う。これは、武道の中でも一緒です。
観光は、ご案内のとおり、今から400年前でございますか、1600年代には徳川家康公が東金に3遍も来たということです。ですから、400年前から東金が非常に観光地になっていたんです。今でいえば、東京ディズニーランドのようになっていたのかななんていう感じがします。もちろんおつきが来るわけですから、非常なところなんですけれども、今見てみますと、もう閑散としちゃっているのです。